小さな小さな新聞社

      寄り添う家族

 読者や友人から、いろいろな相談を受ける。そんな時私の考える基準がある。それは、悩みごとや問題をその人がどれだけ「家族」の中で考え、乗り越えようとしているかをみることだ。不満やぐち、そして他人を非難することで人は問題解決を図ろうとしがちだ。そうすることで多少のうさばらしはできるかもしれないが、胸のつかえは解消しない。後味のわるさが残るだけだろう。
 読者から相談があった。夫の転勤にまつわる「家族のそれぞれの悩み」相談。中学生の男の子と幼稚園の女の子を持つ彼女の家族は、岐路に立たされていた。夫について行くか。それとも別々に暮らすか。転校は絶対にいやだ、と息子は言う。転校にまつわるいじめの問題も心配だ。思春期でもあるし。だが夫がハードな仕事をこなしてゆくには、どうしても「家族」が一緒にいることが必要だろう。彼もそれを希望している。さまざまな思いのはざまで彼女の悩みは深い。が、相談を聞きながら、私はこの家族はどんな形をとっても大丈夫だな、と感じた。
 時折、私の手元に、手作りの「家族新聞」が届く。その新聞を発行しているのが相談相手の彼女だった。親子四人の日常が丁寧に、そしてユーモラスにつづられている。家族の「声なき声」を取材して、母親が新聞にまとめる。消えやすい日常の中で、互いが思っていることを確認する良い機会になっている。子どもは、親が世の中や家族をどのように見ているかを知る。親は子どもの性格や悩み、そして喜びを知る。彼らの家族新聞の部数が重なって育つのは、「ともに生きている」という家族の実感だと私には思えるのだ。
 私はその家族をうらやましいとすら感じる。小さな共同体である家族の結びつきが、いつの間にか薄くなった今。互いにお互いの心を計りかねている家族の現実。それらを目の当たりにしていると、私は楽天的にも、この家族は大丈夫、と太鼓判を押してしまうのだ。たとえどんな困難があったとしても。
 結論は、出た。皆で春になったら、新しい所に住む。別々に暮らしてもこの人たちだったら良い、と考えていたが、私は彼らが出した答えをベストと思った。
 最新の新聞が届いた。一足先に赴任した父親を気遣う家族の気持ちが、素直に編集されている。「夫は一人東京へ行ってしまった。マスクをしている後ろ姿は寂しげだ。気配を感じない距離で人を気遣うこの気持ちは夫に届くのだろうか」。息子は、「水戸黄門のメロディーで、『てーんきん楽ありゃ苦もあるさー』」。そして「電話に出んわ。コンドルのパンツがケツにくいコンドル」などとおどけてみせる。
 胸の底からあついものがこみあげてくるのを感じながら、「大丈夫、大丈夫」と私は繰り返していた。「漂う家族」ではなく、「寄り添う家族」のつよさを、そこに見たからだった。

2003年2月15日掲載 <51>  

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