されど、きずな

    『味の記憶』の大切さを  

 手作りの料理が食べられない子どもたちがいる。コンビニやファストフーズ店で売られている食べ物は好んで食べる。が、家の料理は残す。残すならまだしも、まったく受け付けない子どもすらいると聞いた。親の料理を拒否する子ども。その背景には、「食べ物を作らない」家庭があるからだろう。調理済みの食品と冷凍食品があれば、食べることは足りる。手間や暇をかけて食事をあつらえる時間がないのか、便利なのが良いのか。若い世代の家庭にその傾向が強くあるようだ。長い間教師をしていて気付いたことだが、近年弁当を持ってくる生徒が少なくなった。朝、登校して来る生徒を見ると、コンビニの袋をぶらさげている。その中には、昼食と、場合によっては朝食も入っている。「家庭の味」とか「おふくろの味」は、急速に滅びようとしている。
 私は「家の味」よりも、外食の味覚が今の子どもの「味の記憶」になることを恐れる。
 大学時代、私は家を離れ下宿生活をしていた。貧しいながら楽しく、学生の時を過ごしていた。節約するために、自炊をした。そんな時に、母が作ってくれた食べ物が自然に浮かんだ。母の味をたどりながら、塩やしょう油の加減をしたりした。そのたびに台所にたつ母の姿や、手さばきを思い出した。「家を早く出たい」。若い時は誰しもが感じることだろう。自由になる。誰にも拘束されずに生きてゆける。
 だが、まるで一人で生きてきたような、そんな考えがふと消える瞬間があった。それは鍋の中で煮えた大根やジャガ芋を頬張る時だった。そんな時、決まって私は自分の育った家を思い出していた。母が朝夕作ってくれた味覚を、知らず知らずに確かめていたのだ。今思うと、そのような「きずな」の中で自分は生かされていると感じていたのだろう、とわかる。お腹が満たされると、何にでも優しくなれる気分があった。「家の味」を思い出すことによって、自分を支えてくれる人たちがいるという安心感が生まれた。
 生きる糧に、食べる。しかし心の糧としての「食文化」が見失われつつある。子どもたちがたまに食べる「内側の食事」より、「外食」を日常の食べ物として生きていったら、親子のきずなは薄れていくだろう。語らなくてもつながる思いは、どこにも芽吹かない。「家の味」という何気ない味覚の伝達の中にも、人の「安心」や「希望」が生まれることを忘れてはならないだろう。
 東京に出て行った娘から、「ロールキャベツやひじきのレシピ」の電話がよくかかってくる。私が不在の時は母にも。祖母から母へ、そして娘たちへと、我が家の味が受け継がれていくのを感じる。電話のたびに、何とか生きているな、と私は安堵する。そしてそんな時私は、「家の味」が結び付ける家族のきずなを、ゆっくりと味わうのだ。

2002年12月14日掲載 <45>  

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