『朝顔の種』

      人生を支える『思い出』

 過去が突然、振り返ってこちらを見る。ふとした光景や出来事に触れると。そんな時、楽しかったことや苦しかった日々、必死にもがいていたころなどが、しきりに思い出される。だがその「思い出」は形をなさず、多くはふっと、消えてしまう。
 このコラムの読者から手紙をいただいた。その女性は、ある市の教育委員会の仕事をしておられる。最初は電話で、「思春期セミナー」の講演依頼が彼女からあった。その依頼を承諾した都合上、何度か話が交わされた。彼女は、一人の母親でもあった。
 「自分の考えを随分、子供に押しつけたのではないかと、このごろ反省している。人並みに、それ以上にと、レールを敷いてしまったように思える」。そんなことどもを電話で話した。
 彼女から手紙が届いたのは、その後だった。講演のスケジュールとその案内を掲載した市の広報誌に、私信が添えられていた。読みながら、私はある一行で目を止めた。「先生のコラムを読み、いつも教えられます。そして心に染み入る一行に心が動かされます」と過分な評価の後に、「息子の机の奥に、忘れたままになっていたものを発見したことがありました。大事そうに紙に折りたたまれた朝顔の種です。そこには、『五月四日ごろまく』と、(小学校)一年生だった息子のたどたどしい文字が書いてありました」。そして、「私はそれから毎年、この季節が巡ってくると、朝顔の種を蒔(ま)かなきゃと思います。種蒔きの時期を忘れることは決してありません」と書かれていた。
 『五月四日ごろまく』。その言葉に触れた瞬間、他人の親子関係であるのに、自分のことのように、その日が特別な日として私の心にも宿った。講演の礼状を認(したため)ながら、「『五月四日ごろまく』。私もその日を決して忘れないでしょう」と自分の気持ちを書き加えた。
 特別な日。私にももう成人してしまったが、二人の娘がいる。下の娘がまだ幼稚園のころ。玄関先で大きな呼び声が聞こえた。出て行くと、手に大きなタケノコを持った娘がいた。「タケノコとってきたあ」。汗まみれになった顔が笑っている。タケノコ、と言うよりはもうほとんど「竹」に近い、自分の背丈よりも長いシロモノを、ずるずる引きずってきた道すがらを想像して、私は吹き出してしまった。笑いながら、「ああこの子は、私たちが好きなものがわかっているのだな」と思った。私と母が春先になると、いただきもののタケノコを煮付けながら、「美味しそうね」などと語ったり、タケノコ掘りの相談をするのを、この子は知っていたのだ。家族の思い出話の時など、そのことが今でも話題になる。
 子供のころの思い出。思い出の多さが、どれだけその人のその後の人生を支えることだろう、と彼女の手紙から読み取れた。朝顔の種を包んだ紙のように、『折りたたまれた思い出』が多いほど、子供たちは明るく生き生きと、歩いて行けるのだと、感じた。

2002年6月29日掲載 <30>  

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