言葉に触れて

      「家族」をキーワードに

  『書くこと』に触れて、朱香は『本当の家族』を手にした。
 三年前の春。喘息(ぜんそく)のため、欠席が三百日の少女が入学してきた。文芸部に入部してきた彼女は、私の語る言葉を丹念に聞いていた。喘息を病んでいる子とは思えないほど、眼には好奇心と、何かを求めてやまない光があった。その光をはぐくんだのが『家族』だと知ったのは、論文指導の時だった。
 私は文章指導の折、『家族』をキーワードにしてものを考えるよう、生徒に勧めている。家族は人間にとってのすべての原点。世の中のさまざまな問題についても、家族と絡めながら考えた方がいい、と思うからだ。特に今の時代は。
 彼女が最初に取り組んだ論文は、『やいさんは、風を切って』だった。それは富山に住んでいる祖母「やいさん」と朱香の家族の話。祖母も朱香の父親にも喘息という病があった。「やいさん」は、貧しさや病気に負けずに、子供たちをきちんと育て、最後は一人で夫を看病し見送った人だ。寂しいとか不満を漏らすこともなく黙々と一人で、今も生きている。その静かな生き方には『ちゃんとした家族の絆(きずな)』を作った満足感があるからだと、その論文は語っている。たった一人で生きることができるのは『家族の絆』を大切にしたからだとも。そして父が、トライアスロンやクロスカントリー、喘息のためドクターストップがかかってからはスキーと水泳に挑戦し続けるのは、「やいさん」の生き方をたどっているのではないかと書いている。家族の愛情に見守られて生きることはどんなことにも増して貴いと朱香は知る。それが論文の骨子だった。
 『家族の絆』が問われる現代に、「やいさん」の姿は、示唆に富む。
 一人暮らしの祖母が、彼女たち家族が帰郷する日に、必ず自転車でどこかへ出かけるシーンが美しい。それは、家族の絆をかみしめるためなのでは、と彼女は気付く。「お祖母ちゃんは、悲しいことや嫌なことを捨て、大切なものをしっかりと胸にしまうために、どこまでも自転車を走らせるのではないか。富山の熱い風や、花や草の香りを含んだ風を切りながら。苦しいことも、ただ淡々と受け入れてきた祖母のつよさが、そこにはあるようだった」。そしてそういう『家族』の絆の中で自分も生きている、ということを彼女は発見する。その論文は文部大臣賞に輝いた。そして彼女は、ご褒美のアメリカ旅行を果たした。
 私が一番うれしく思うのは、考えや表現に行き詰まった時、『共に考える』ことを通して得たものの大きさだ。共に考えながら、私も彼女も成長した。そこには『言葉に触れる』ことで互いを理解する喜びがあった。 (この稿続く)

2002年3月9日掲載 <17>  

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